映画「北の桜守」 生き延びることの壮絶と、生きられるものの宿命を感じる。

映画、観ました。

「北の桜守」

太平洋戦争で、樺太から命からがら本土に帰還した主人公(堺雅人)とその母(吉永小百合)。主人公は、その後、苦労しながらも、コンビニの社長にまで上り詰める。しかし、その頃、網走に残してきた母が、痴呆のような行動をし、周りを困らせていると知る。再び、母と暮らすことになった主人公。その中で、過去を振り返っていく……
まさに戦争を生き延びた人、それがどういうことかを描いている。生き延びるためには、人は清く、正しく、美しくはいられない。生き延びたとしても、後悔、贖罪の念に苛まれる。人々は忘れたい記憶に蓋をして、何とか生を全うしようとする。その姿は切ない。
また、歳をとった親と子の関係も描いており、それも極めて切ない。人は人生において、自分が子供のときと、親が老いたときの2度、親と向き合うのだなと改めて感じる。子供のときの親はまさに親だが、老いた親は自分とは別の人生を歩んだ同等の一個人だ。2人の大人が再度絡む時、切なさと新たな絆が生まれる。この映画ではそれも描かれている。
この作品は、戦争に翻弄された人々を描いているが、平常時を生きる我々そのものかもしれない。日々、誰かを傷つけていないか、言わなくていいことを言っていないか、親孝行を含め、人に親切にしてるか、甚だ自信がない。結局、自分も生き延びるのに必死で、後悔は計り知れない。でも、それが人生なのかも。
ストーリーは奇をてらったものではないが、伏線をうまく配置した作りになっていて、生き延びる主人公たちの姿をよく照らしている。随所にグッとくるので、結構泣かされた。そして、亡くなった母を思い出した。
さて、親からもらった有難い命で、今日も精一杯生き延びるか。出来るだけ、後悔を残さずに。
勝手な評価:⭐⭐⭐⭐(切ない)

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