映画「トリガール!」 鳥人間になって意味あるの? そう思うなら飛んでみな! 鳥人間コンテストに賭ける若者たちの青春ドラマ

映画、観ました。

「トリガール!」

長きに渡り続いている「鳥人間コンテスト」を題材にした青春ドラマ。主人公(土屋太鳳)は、素敵な先輩に憧れ、入る気もなかった鳥人間コンテスト・サークルに入ってしまう。さらに、自転車を漕ぐ能力を買われ、パイロットに抜擢される。本番で飛ぶまでの出来事、人間ドラマをコメディタッチで描く。
コメディタッチは、ただのドタバタ劇になりがちで、あまり好きではなく、のめり込めないかなとも思ったが、終盤に向けて引き込まれ、最後のフライトシーンは、やはりグッときた。ギャグとシリアスのバランスが良いんだろうなーと感心。ギャグをキャラの性格に紐付けておくと、あまり違和感ないのかも。変な効果音、映像表現を入れたりして、笑わせようとすると、作られ感が出てダメなのかもしれない。
何はともあれ、鳥人間コンテストを題材にしているところがこの映画の魅力だろう。鳥人間コンテストって、勝ったところで、社会の役に立つかという観点では、疑問が残る。空を飛ぶなら、飛行機があるし、最近は装着出来るジェットエンジンみたいなものもある。鳥人間コンテストは人力で飛ぶことを目指しているとはいえ、人はすでに鳥のように飛べるのだ。なのに、熱くなる…それは、何故か?
もちろん、将棋や囲碁などのゲーム、スポーツだって、社会の役に立つかという観点では、疑問が残る。ただ、それらは、あるルールにおいて何が起こるか、人はどこまで出来るかを追求しているので、行く末を見てみたいと好奇心が湧く。そういう意味で無意味感を感じることは、少なくとも自分にはない。
一方、鳥人間コンテストも人力で何処まで飛べるかというルールのもと、人はどこまで出来るかを追求している。しかし、少なくとも自分には、何か無意味感が高い。何故か不思議だったが、以下のように考えると個人的には合点がいった。
鳥人間コンテストは、飛ぶということに関しては、他のやり方が幾らでもある中で、むしろ飛びにくい方法で挑んでいる。だとすれば、このコンテストの目的は、自分の力で飛ぶ鳥自体に近づくことなのだ。まさに、コンテストの名前通り、鳥人間になりたいということだ。鳥人間などならなくても、空など飛べるのに、鳥人間になりたいと願う。この感じが、無意味感と滑稽感を感じさせる要因ではないか。
ここで鳥人間コンテストが無意味だと言いたいのではない。鳥人間コンテストの凄いところは、前述のように無意味感が強いという感じがするのに、最後は熱狂してしまうことだ。人はその無意味な挑戦に打ち込む。その様が凄いのだ。
そして、鳥人間コンテストは本当に無意味なのか。そうではない。人は、苦難の果てに何かを掴む。そこには、関わったものにしかわからない真の意味がある。関わらないもののために飛ぶのではない。自分と関係者のためだけに飛ぶのだ。そして、無意味な挑戦の意味を知る。そんな彼らの姿は、何か素敵である。社会の役に立つから意味があるような気がしていることこそ、おかしな事なのだと気付かされる。
機械と人が融合しなければ勝てないコンテストであり、技術、人の両方を磨かないといけないという点も絶妙な設定だ。多様な才能を結集する必要があり、ドラマが起きやすい。だからこそ、長年人々を魅力し、歴史が生み出され続けるとだろう。
あゝなんて素敵な大会なんだと思う。
直接関わらない自分も心動かされた。無意味な挑戦には意味がある。
勝手な評価:⭐️⭐️⭐️⭐️(熱い!)

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