【ビール・ショートショート】 子猿と桃 : ビールの個性から想像した1000字程度のストーリー

子猿と桃

「あら、一杯いるのねー」
純子が感心したように声を上げる。
「ほんとだねー」
敏之と純子は、岡山の神庭(かんば)の滝に来ていた。神庭の滝は、滝自体も趣があるが、滝の周りにいる人慣れした猿たちがいることでも有名な観光地だ。敏之が定年になって数年経つ。定年を機に、5つ年下の純子とは、二人であちこち旅行をするようになっていた。長年不義理を働いた報いで、奥方に全く相手されない同僚が多い中、いつも楽しげに旅行に付き合ってくれる純子に、敏之は感謝していた。
地面に撒かれたエサを一生懸命拾っては食べている猿たちを、しゃがんで眺めている純子は、「可愛いわね」と目を細めている。敏之も同じ思いで眺めていたが、ふと子猿が純子の横にゆっくり近づいてくるのに気づいた。
その子猿は、純子に手が届くところまだ近づくと、チョコンと座った。自分の横にチョコンと鎮座する子猿に純子も気づき、「あら」と嬉しそう顔をした。
子猿はクンクンと鼻を動かしている。
ピンときた敏之は、「バッグの中の桃の匂いにつられたんじゃないのかなー」と言った。
純子のバッグには、ここにくる前に買った岡山名産の桃が幾つか入っていた。
純子もそう思ったようで、「あげてみる?」と、いたずらっこみたいな顔で敏之に振り返った。敏之も桃をあげたいなと思ったが、「駄目だよ。怒られちゃうよ。たぶん……それに、あげたら他の大きい猿がやって来て、取り上げられちゃうよ」と応じた。
純子は首を傾げ、ちょっと思案したようだが、「そうね、取り上げられちゃったら余計可哀想ね」と立ち上がった。
それを機に、「そろそろ行くか」と敏之が言うと、「そうね」と純子が応じ、二人は神庭の滝を後にすることにした。
「バイバイ!」
去り際に笑顔で腰を屈めながら、純子は子猿に手を振った。
子猿はチョコンと座ったまま、何のことか分からないような素振りで首を傾けた。
子猿を残し、しばらく歩いた後、敏之が滝を振り返ると、子猿はまだチョコンと座ったまま、二人を見つめていた。
隣の純子も振り返る。
「バイバイ……」と小さな声で呟くと、純子は腰の前で小さく手を振った。

「あら、素敵なビール!」
旅行から帰って数日後、一緒に出かけたスーパーのビールコーナーで純子が声を上げた。
純子が指差す先に、猿のイラストと桃の文字が描かれたビールがあった。
「桃ヴァイツェン……?」と敏之は呟いた。
「この前のお猿さんみたいね」と純子が微笑んだ。
「どんな味なのかな……でも、美味しそうだね。今日はこれにしようか?」と敏之も微笑んだ。
軽く頷くと、純子は、桃と猿のビールを買い物カゴに入れた。
ーー桃を手に入れた子猿くん……
チョコンと座り、二人を見送った子猿を二人は思い出していた。

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このショートショートの発想のもになったビール
国産桃ヴァイツェン(箕面ビール)

ラベルの猿のイラストと、桃の組み合わせから発想しました。

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